WEB ON! 41号
大丸有協議会は2018年7月に発足30周年を迎えました。
今回のON!では発足以前からこのまちを見続けてきた方々にインタビュー。
さまざまなビジネスシーンのなかで、
このまちでどのような出来事があって、どのような変化があったのか。
そして、まち自体の変化や、まちの人々、来街者はどう変わってきたのか。
みなさんの記憶の中から、このまちの進化・発展・変貌を辿ります。
また、このまちでは過去、さまざまなイベントが実施されてきましたが、
その歴史も振り返ります。
再開発後の飲食店の充実ぶりには驚くばかり。
今後はファッションの街にふさわしいイベントも。
本舘 総支配人
吉田 寛さん
大正9(1920)年に株式会社東京會舘が設立され、翌々年に初代本舘が竣工。2022年に創業100周年を迎える「東京會舘」。大正、昭和、平成と3つの時代にまたがり大丸有エリアと歩みをともにしてきた歴史の生き証人です。「東京會舘へ入社して30年、時代の変遷を肌で感じてきました」と語るのは、本舘総支配人の吉田 寛さん。人と街を見つめ続けてきた吉田さんに、大丸有エリアの30年を振り返っていただきました。
── 2019年1月に、新生本舘をグランドオープンされますね。
大正時代より受け継いできた社名やロゴマークを含め従来のクラシカルなコンセプトはキープしつつも、随所に“新しさ”を盛り込む予定です。従来のコンセプトをキープする理由は、単に歴史を大切にしたいというだけではありません。東京會舘はもともと「東京ひいては日本を代表する社交場をつくろう」という概念のもとに生まれました。どこかの企業が利益を求めてつくったものではないのです。新しい本舘は、そんな東京會舘の原点を大切にしながら、来年のグランドオープンを目指して作り込みを行っています。
── 最近は「会館」という名のつく施設が少なくなったように感じます。
ホテルともレストランとも違うひとつのカテゴリーとして、昔はいくつもの会館が存在しました。ところが「会館」という名が古臭いと思われたのか、どこも名前を変えてしまわれた。しかし、東京會舘は変えるわけにはいきません。親子3代、4代にわたってご贔屓にしてくださっているお客様もいらっしゃるなか、これまでの歴史を捨てるわけにはいきませんからね。昔ながらの会館というカテゴリーが珍しくなってしまった今だからこそ“周回遅れの先頭”として走り続けたいと思っています。
── 吉田さんは東京會舘に入られてちょうど30年とのこと。たくさんのお客様とふれ合ってこられたことと思われます。
その昔は貴族や華族、あるいは藩主の末裔の方などがお見えになっていたそうです。私が入社してからは、政界や財界の要人、銀行の頭取、大企業の役員クラスの方々をよくお見かけしました。帝国劇場がすぐ隣にあるものですから、芸能関係のお付き合いもあり、落語、歌舞伎、宝塚のイベントやトークショーなどにもよくご利用いただいております。そういえば、かの森繁久彌さんもお亡くなりになる直前までお見えになっていましたね。30年間にわたってお客様と接しておりますと、つくづく世相を反映していると感じます。バブルが崩壊する前は昼間からお酒を嗜むお客様もたくさん見られたのですが、崩壊後はみなさん真面目になられて(笑)。夜の接待が減りパワーランチが増えてきたのも時代の流れなのでしょうね。
── 街並みの変化はどのように感じられますか?
レストランで働いていると、帰りがどうしても遅くなってしまいます。それから飲みに行こうとしても東京駅周辺の店はどこも閉まっていて、気軽に立ち寄れるような店がなかなかありませんでした。そんな時代を知っているものですから、再開発後の飲食店の充実ぶりには驚くばかりです。昔は気の利いた店を探しに銀座方面まで足を伸ばしたものですが、今ではここで食べられない料理なんてないですからね。私が特に気に入っているのは、新丸ビルの「リゴレット」。ここのカウンターでサッと飲んでサッと帰るのが私にとって最高の気分転換です。また、現在の丸の内はトップブランドが集まるファッションの街でもあります。東京會舘もファッションイベントなどこれまでになかった試みを通じて、この街とともにさらに発展していきたいと考えております。
初代本館 中宴会場
夕日を受けて輝く2代目本舘
さまざまな人が行き交う大丸有エリア。
この街のホテルとしてたくさんの人をお迎えしたい。
レストラン部 部長 三浦 弘行さん
1961年に国営の「ホテルテート」の後を継ぎ「パレスホテル」として創業。2009年から3年の月日をかけて建て替えを行い、2012年に装いも新たに生まれ変わった「パレスホテル東京」。最高級ホテルの名に恥じないおもてなしの精神は、今も大切に受け継がれています。ここで、長年にわたり“ホテルの顔”としてバーテンダーを務めてこられたのが、レストラン部部長(取材当時。現レストラン部シニアアドバイザー)の三浦弘行さん。カウンター越しに垣間見てきた、大丸有エリアの30年を語っていただきます。
── 三浦さんは1980年入社とのことですが、最初からバーテンダー志望で入られたのですか?
そうです。学生時代にバーテンダーに憧れるようになりました。私が旧パレスホテルに入社したときは開業から20年近く経っていましたので、すでにホテルとしての基盤はできていました。お客様も運転手がついているような方が多かったですね。政財界の方や、大手企業の社長、会長、理事長など、社会的地位があり年齢層も高めの方がほとんどでした。また、当時はお召し物からお客様のお仕事がわかるケースが多かったように思います。たとえばランチタイムには、みなさん制服でご来店されておりました。そのため、その制服を見ればお勤め先がわかったんです。ところが最近は私服の方が多いので、どちらの方なのかがまったくわかりません(笑)。そんなビジネススタイルの変化も肌で感じています。
── ホテルのバーテンダーには、技術とともに上質なサービスが求められます。大変な面も多いのではないですか?
私が若いころは「メインバーはホテルの顔だ」と教えられました。お客様はチェックイン後にメインバーに行き、そこでのサービスを見てホテルの資質を見極めると。そこで当時の私はよく、昼間に他のホテルのバーを見に行ったものです。夜の顔ではなく、あえて落ち着いている昼の顔を見ることで、バーテンダーとしてのサービスがどうあるべきかを学ぼうと。仕事が早く終わった日は、杉本さんがバーテンダーを務めてらっしゃった東京ステーションホテルにもよく足を運びました。私の尊敬するバーテンダーのひとりですからね。
── 現在は部長という立場で、また違ったご苦労があるかと思われます。
パレスホテル東京としてスタートした直後はお叱りをうけることも多く、ノイローゼになりそうなほどでした。しかし厳しいお声だけでなく、地方からわざわざ月に一度足を運んでくださるお客様や「ここに来てから、もうほかのバーには行かなくなりました」とおっしゃってくださるお客様もいらっしゃいました。そこで感じたのは、建物や料理も大切だけれど、一番大切なのは“人の心”ということです。サービスを提供する心がお客様との信頼関係につながるということを、多くのお客様からあらためて学ばせていただきました。
── 38年間にわたり大丸有エリアとともに歩まれ、時の流れや街の変化を感じることはありますか?
若いころからお見えになっていたお客様が出世されていく姿を見ると、うれしさとともに時の流れを感じますね。また、最近では女性のお客様が増え、昔に比べてバーも華やかになったなと。ホテルのバーに敷居の高さを感じていらっしゃる方も多いと思いますが、当ホテルではテーブルチャージもいただいておりませんので、ぜひ気軽に足をお運びいただければと思います。そして、何より変化を感じるのは東京駅周辺に人が集まるようになったことです。昔はネクタイ族が大半を占める街でしたが、今では家族連れや海外からの観光客など、じつにさまざまな方が歩いていらっしゃる。そんな活気あふれるこの街のホテルとして、これからもたくさんの方をお迎えしたいと考えております。
開業当時正面玄関
初代ロイヤルバー